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薄煕来事件 判決までの594日

2013年09月23日

【新唐人2013年09月23日付ニュース】薄煕来の腹心であった王立軍がアメリカ総領事館に駆け込んだ事から、薄熙来事件の序幕が始まりました。22日の一審判決まで、実に594日が経過しました。薄熙来事件を振り返ってみましょう。

 

薄煕来の一審判決が出ました。ここでもう一度、薄煕来転落の594日間を振り返ってみましょう。

 

薄煕来の真の姿が暴露され始めたのは、世界を震撼させた王立軍の米総領事館駆け込み事件。

 

中国政府系メディアは去年8月、薄熙来と王立軍の対立のきっかけとなったのは、王立軍が薄熙来の妻・谷開来がイギリス人のヘイウッド氏を殺害した証拠を集めていたことだと発表しました。

 

成都中級人民法院報道官

「被告人王立軍は薄谷開来の殺人疑惑に対し、ファイルを新たに作り、調査を行い、証拠を補い、物的証拠を残した。国家関連部門に薄谷開来に、故意殺人の疑いがあると報告し、証拠と材料を提供した」

 

これを知った薄煕来が王立軍に平手打ちを食らわしました。薄熙来の凶暴な性格とやり口をよく知っている王立軍は身の危険を感じ、2月6日、変装して成都のアメリカ総領事館に駆け込み、重要な機密文書を手渡しました。

 

1ヶ月後、薄煕来が何事もなかったかのように全人代に出席。記者会見では、海外メディアによる薄熙来ファミリーの収賄・汚職の報道について反論しました。

 

全人代閉幕の翌日3月15日、共産党中央は薄煕来の重慶市委員会書記の職を解任すると発表しました。4月10日、党中央委員および政治局委員の職からも解任され、9月28日、党籍剥奪と公職追放のいわゆる「双開」処分を受けました。

 

注目すべきことは 9月28日、司法機関に移送されたときの薄煕来の罪状は6つありました。しかし 2013年7月25日、6つの罪状が3つに減らされ、収賄、横領、職権乱用の罪で山東省済南市で起訴されました。8月22日、薄煕来の初公判が始まり、公判の初日、薄煕来は検察側の起訴内容を全て否認、さらに最終日には自ら妻・谷開来のスキャンダルを暴露し、家庭内のいざこざに裁判の焦点を持って行きました。

 

9月22日午前10時、山東省済南市中級裁判所は薄煕来に無期懲役判決を下しました。薄煕来劇の第一幕が終わりました。

 

http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2013/09/22/a971080.html (中国語)

 

(翻訳/徳山 編集/坂本 ナレーター/ 映像編集/工)

 

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